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2010年3月 1日 (月)

金沢を知らない金沢生まれ?

3月といえば桜の季節であるとともに卒業シーズン

久しぶりに逢った中学時代の同級生の御蔭で、
当時の懐かしい思い出が次々とフラッシュバック。

アルママから
 「え~っ、ボサって金沢生まれだったの?」

ボサというのは、私の中学時代のアダ名でして ...
この名前で呼ばれるのも本当に久しぶりの事でした。(^_^)

私が産声を上げたのは兼六園のすぐ側にある国立病院の産室で、
1957年8月6日の朝8時15分 ...

奇しくも12年前の同日同時刻には、広島に原爆が投下されました。

ということで、正真正銘の金沢生まれ?なんですが...

親父が陸上自衛隊に勤めていた関係で、2~5年周期
各地を転々と。

生まれてから最初の地は、茨城県の土浦に行ったらしいんですが、
まだ赤ん坊だった私の記憶には残っていません。(^^ゞ

記憶の始まりは3歳頃の保育園・幼稚園からで当時は三重県、
この地で小学校に入学。

ネット時代になった御蔭で、自分が通った学校を検索してみたら
全てにHPがありましたので順に並べてみました。

   私の 学校遍歴?

● 三重県 明和町立 大淀小学校 (入学) 1年生
● 北海道 恵庭市立 恵庭小学校 (転校) 1年生
● 北海道 恵庭市立 島松小学校 (転校) 2~5年生
● 栃木県 宇都宮市立 陽南小学校 (卒業) 6年生

● 栃木県 宇都宮市立 一条中学校 (入学・卒業)

● 栃木県立 宇都宮東高等学校 (入学) 1年生
● 岡山県立 岡山朝日高等学校 (編入学・卒業) 2~3年生

● 石川県 金沢工業大学 (入学・卒業) 4年

ということで、金沢生まれでありながら、幼少時の殆どを県外で
過ごして来て、社会人になってからは地元で約10年勤務、
その後は宇都宮へ引っ越して約10年過ごし、また金沢へ。

そんなこんなで石川・金沢の歴史や慣習等を知らない金沢人。


今回訪れてくれたアルママは宇都宮時代の同級生
アルママを兼六園に案内している時、

 「気を遣ってくれているのか、金沢弁で話さないんだね?」

と言われたんですが、私の使う金沢弁は生粋のものではなく、
大学生以降の後天的なものなので、金沢で生まれ育った人から
金沢の人じゃないよね?」と言われたりもします。(笑)

小学校の頃って悪意があるわけでは無いけれど、転校生って
言葉が違うことで最初は良くからかわれたりするんですよね~。

子供時代は順応性が高いので、すぐに子供が使う話し言葉
真似をして覚えるんですけど、思春期とかには次第に標準語を
使うようになったり。

社会人になってからは営業の仕事をしていた時期もあって、
普段から標準語を使う事が多かったのですが、各地を転々と
していた事もあって、東北系、関東系、関西系とかの言葉は
大体判りますし、話している相手によって無意識のうちに
その人の言語圏に近いものを選んで使っているようです。

 まぁ~、方言バイリンガル?とでもいえば良いでしょうか (笑)

とはいえ現在は金沢に戻っているのですから、金沢のことを
知らない自分が異邦人のように思えて「これではいかん!」と、
この歳になって改めて自分の生まれた土地の事を知ろうとして、
あちこち回るようになりました ...

人気観光地に住んでいることで、アルママのように金沢を
訪れる際に声を掛けて下さる友人・知人の方達もいて、
とても有難い事だといつも思っています。

迎える立場としても、せめて主な人気観光スポットくらい
ご案内出来ないようでは金沢人として恥ずかしいですしネ。

まだまだ金沢人としては半人前ではありますが ... (冷汗)

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