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2010年3月22日 (月)

開町401年 (1)

連休最終日は再び晴れの天気となり、叔父貴夫婦のお誘いで
富山県高岡市へ ...

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高岡は加賀藩二代藩主前田利長公が1609年に開いた町で、
昨年は開町400年ということで様々なイベントがあったようです。

 前田利長 : 藩祖・前田利家公の長男(嫡男)
          正室は織田信長の四女・永姫(玉泉院)

この利長公の像は菩提寺である、曹洞宗・瑞龍寺(ずいりゅうじ)と
利長公のお墓をつなぐ八丁道の傍らにあります。

瑞龍寺は利長公の弟で加賀藩三代藩主前田利常公が兄を弔う為に
創建した寺で、仏殿・法堂・山門が富山県内唯一の国宝に指定されて
いますが、この像だけ撮りたかったので今回は寺の方へは寄らず ... (^^ゞ

御旅屋(おたや)通りと言うところにあるパーキングに車を入れて、
歩いて街中を散策することに...高岡は伝統工芸も盛んな町で、
高岡漆器や高岡銅器なども有名で、街のあちこちでパブリックアートの
銅像を観掛けました。

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       御旅屋通りポケットパークにて

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ここには他にも沢山あったのですが、一部だけご紹介。
上の二枚は「鎮守の森のアルチザン(職人)」という作品。

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こちらは通り沿いにあった「伝えの扉」という作品の一部。
街中のパブリックアートだけを撮り歩いても楽しめますね。

山町筋という所に国の重要伝統的建造物群保存地区
土蔵造りの町並みがあるというので、そちらへと。

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        600mほど続く山町筋

土蔵造りの町家が造られたのは、明治33年(1900年)に
市街地の約6割を焼き尽くした高岡の大火によるものだそうで、
明治中期の土蔵造りによる防火に主眼を置いた街作りをしたそうで、
国や県・市の重要文化財に指定されたものを含め50数棟
土蔵造りが今も残っているそうです。

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      菅野家 国指定重要文化財

左右の隣家との間はレンガ製の防火壁が建てられており、
一階の出入り口となる大戸は鉄板張りで、二階の窓の
観音開きの土扉は防火シャッターの役目。

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      菅野家 シャチ と 雪割り瓦

雪割り瓦は積雪で棟が壊れるのを防ぐ為のもので装飾にも。

菅野家は高岡有数の商家で、明治中期から銀行や高岡電灯、
高岡紡績などを起業した高岡政財界の中心的な存在だそうで
建物は明治35年に建築された高岡の代表的な土蔵造りの町家
だそうで、現在も住居として使用中。

開町時、高岡の町人には間口1.5間、奥行17間程の敷地を、
藩より無租地(地租を課さない土地)として分け与えられたそうで、
そのため通常の町家は、「うなぎの寝床」といわれる京の町家と
同じように奥行きの長~い建物となり、今でも多く見受けられます。

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         ガメラ発見~! (^o^)

他の町家の屋根に見つけた「亀」の飾り瓦。
反対側のものは無くなってしまっていたようですが ...
恐らく対となる「鶴」か何かが飾られていたんでしょうね。

  (2) へと続きます

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コメント

 maverickさま、ごめんください。
突然のコメントで誠に恐れ入ります。
 私は、「ガメラ医師のBlog」管理人のガメラ医師と申します。映画ガメラに関する情報収集Blogを更新しており、こちらの記事にはガメラの検索から参りました。
 拙Blogでは従来より、ガメラに付いての様々な記事をまとめておりまして、この度3月27日付けの更新、
「ガメラ:10年3月第四週の小ネタいろいろ」
中にて、こちらの『ガメラの飾り瓦』を紹介させて頂きましたので、ご挨拶に参上した次第です。差し支えなければ拙Blogもご笑覧頂ければ幸いです。
 長文ご無礼致しました。それではこれにて失礼します。

投稿: ガメラ医師 | 2010年3月27日 (土) 18時03分

■ ガメラ医師さん

ご丁寧なご連絡とご挨拶を頂きまして
有難うございます。m(__)m

ガメラ医師さんのブログを拝見させて頂きましたが、
今回の「飾り瓦」を取り上げて頂いたとは恐縮です~!

私も特撮映画が好きでして、ガメラシリーズも
一作目から全作品を通して観ております。(^_^)

投稿: Maverick | 2010年3月28日 (日) 16時44分

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